40歳からの再出発〜肝っ玉母ちゃんのブログ〜

40歳からの再出発〜肝っ玉母ちゃんのブログ〜

40歳を過ぎて人生の転機が訪れた看護師の記録。家庭、仕事、人生を素直な生きた言葉で感じていきたいです。

自分の人生の主役は自分だ

 

人生グラフで考えてみよう

よくテレビで芸能人が自分の人生のなみを折れ線グラフにして、あの時はああだった、こうだった、てやってますね。
あのグラフを自分の頭の中でやってみたら今はどうだろう、と考えてみました。
さらっと振り返ってみる為です。
きちんと過去の出来事を振り返り、今後に生かしたいと考えるならば、人生グラフを作成することをお勧めします。

 

人生グラフとは

人生グラフはモチベーショングラフとも呼ばれるもので、自分の人生の浮き沈みを折れ線グラフで表し、どんな時に喜びを感じ、どんな時に悲しみや苦しみを感じたかを客観的に可視化することで、自己分析にもつながるのだそうです。
キャリアデザインなどの研修でもよく取り入れられています。

横軸が時間、縦軸が人生の満足度を表し、今までのライフイベントとともにその時の自分のモチベーションを振り返って結んでみます。

作成したら、何が原因でその状態になったか、そしてどのように克服していったかなどを冷静に振り返ると、自分の強み、弱みを知るきっかけになる、というものです。

 

過去の出来事を振り返る

今回は、自分の人生の歩みを振り返ってみたいと思っています。

誰も興味ない、、( ・∇・)

自分のために書いています。しかもきちんと人生グラフで分析するわけでもなく、なんとなく大事なことを感じたから書き残したいと思います。

 

私が本当の意味で家庭を味わったのは、小学3年から4年の2年間だけだったように思います。

生まれてすぐ母が病気になって入院していたので、私は伯母のところに預けられて、それはそれは本当にお世話になって、感謝しかないです。
ですが、本当に自分が望むこと、言いたいことは言えなかった。
言わない方が良いと思っていました。
全身で、全心で誰かに甘えることは出来ませんでした。
月に一度か二度、父に連れられて母の病院にお見舞いに行く。
父は毎日朝から仕事に行ってそのまま母の病院へ行って、私が寝た後に寝るためだけに伯母の家に戻る。
母の病状が落ち着いて退院して家族3人で初めて生活できたのが、その2年間でした。

母が作る食事の味は今でも覚えているし、母がつまらないことで大笑いした時の顔も、私が母から叱られた日は決まって父が後から優しく話しに来てくれたことも、夏に連れて行ってもらったプールで食べたソフトクリームの味も、後にも先にもたった一度の家族旅行の淡路島のことも、
全部はっきり覚えています。

小学6年の5月に母はまた入院しました。
修学旅行の準備は自分でしました。
夏休みに友だちと遊んでいると、別の友だちが伯母や従兄弟が私を見かけたらすぐ帰るように言っていたと知らせてきました。

妙に嫌な予感がして、すぐに帰れなくて、夕方帰るとすぐに車で病院に連れて行かれました。病院へ向かう車のラジオから流れていた曲も覚えています。
病院に着くともう母は意識がありませんでした。

それから半年くらい、どう過ごしていたのか、全く記憶がありません。

中学、高校、大学、と
伯母のところでの居候生活は変わりませんでした。
父は父で、色々な事情と、思うところがあったようで、伯母の家を出て行く選択はしませんでした。
細かいことは言い切れない程ありますが、私はその生活が苦痛でした。

18歳の時、母の実家を継いでいた叔父が亡くなりました。叔父夫婦には子どもがいませんでした。母の実家は旧家だったので、絶やす訳にはいかないという話になり、養子として私がいく事になりました。
結婚に対して何の憧れもなかった私はお見合いでもなんでも別に構わなかったし、何より亡くなった叔父の奥さんが私を可愛がってくれていたので、承知しました。
将来的には後を継ぐという責任を引き受けました。戸籍から一人娘が抜ける事を父はどう感じたのかは今となっては分からないけれど、承知した父に少し寂しさを感じました。
そして、伯母に感謝はしていたけれど、息が詰まるような毎日から正当に逃げ出す理由が欲しくて、社員寮がある仕事を選び、寮に入らないといけないと嘘をついて、一人暮らしを始めました。

ただただ、自由が欲しかった。
そして、お金を貯めて大学院に行きました。

26歳の頃、主人と出会いました。
不思議な巡り合わせが重なって、初めてゆっくり話す機会があり、自分の中に今まで味わったことのない感覚が芽生えました。
何ひとつ取り繕う事もなく、今まで押し殺してきた本当の自分と初めて出会ったような、主人といる自分の空間が、まるごと昔からあるもののような懐かしい感じがして、2人でひとつのような、なんとも不思議で、それまで生きて初めて心の底から穏やかになったようでした。
あ、この人と結婚するな、とその日に思いました。
結婚するなら、婿養子になってくれる人を…という事になりますが、主人は長男です。
主人の両親は、婿養子にはできないと言いました。

私は自分の引き受けた責任を果たすことが出来ませんでした。

親戚中にひたすら頭を下げました。
自分の生きたい道を、意思を通しました。

それからまもなくして、父が病気になりました。
そして、私が看護師になって3年目に亡くなりました。
親孝行は何ひとつ出来ていません。
私は伯母の家を出た時も、養子縁組を解消した時も、父から逃げ出したようなものです。
父は、何を言う訳でもなく、私の意思を受け入れて許してくれました。

そんな私にとって、いつのまにか、あたたかくて、笑いの絶えない、帰ってくるとほっと安心する、辛いことや苦しいことがあっても支え合える、そんな家庭を築くことが私にとって人生最大の夢となっていました。

その夢は、私の土台として叶いました。これほどありがたい事はありません。当たり前にそこにある家庭を当たり前と思わず、毎日感謝していました。
何気ない日常が穏やかでした。

子どもには、この家庭が当たり前であってくれたらいい。この子には、普通に心に宿る家庭を与えてあげよう。
人生グラフでは、結婚してからぐぐっと上向きで穏やかな安定線となります。

 

今の自分はどう?

今の私はというと、、

 

昨年の今頃からは明らかに下降線だけど、、

これまでの山あり谷ありのどん底ではないな、と。

 

なんでやろ…こんなに苦しいのに

 

ここ数か月、一言でいうと・・・・・

地獄

でした。

本当に本当に毎日毎日毎日毎日、苦しくて苦しくて心がえぐられているような感じで、作り笑いもできなくて、なんでこんなことになったんや・・・の日々でした。

主人は、もっともっと計り知れない苦しみの中にいた、いる、のだと思います。

 

・テレビが見れない、音が頭に突き刺さるという主人のために、テレビはつけない

・子どもと3人で過ごすことは、幸せを失ってしまう不安に襲われるといって、一人寝室にこもる

・食事も食べられない、家族で食卓を囲むなんて到底無理なので、せめて少しでもと寝室へ食事を運ぶ

・仕事もしないで家にいると思われるのが苦痛で窓は開けられない

・結局自分の苦しみはわからない、と私とも話せないことも…

賑やかだった家庭は静まりかえっていました。

 

そんな地獄のような日常でも、私の人生のどん底ではなかったのです。

あ、その時はどん底と思ってましたよ(u_u)

 

それでも振り返ると、人生のどん底ではない

なんでかな…

 

理由はすぐに分かりました。

 

そこに私の大切な家庭が「在る」からです。

どんな状態であっても、大切な大切な家族がいるからです。

 

主人と結婚をして、子どもを授かって

あー、今までこんなに安心して幸せやなぁて感じたことなかったなぁと心から感じて、心が温か〜くなって、

これが自分が求めていた家庭ってもんなんやなぁ〜という、目には見えない土台の上での苦悩だからだと思います。

 

どう転んでも人生一度きり

大きな流れの中で今を見つめる

主人が病気になりました。

何が何でもこの家庭、家族を守り抜く、

毎日その決意のようなものを心の中で繰り返していました。

 

その決意が自分を必要以上に追い込んでいました。望み描いてきた家庭が崩れていくような恐怖で、必死に守らないとと、しがみついていたのかもしれません。

父と母の仏壇の前で、一人息を殺して泣きました。

追い込むとどんどん希望が諦めになっていきました。

普通の家庭、普通の幸せを求めてただけなんやけどなぁ…

求める事もあかんの?

こんな生活いつまで続くの?

と、答えが返ってくることのないその場所で問い続けました。

 

何ヶ月もぐるぐるぐるぐる…負のループです。

苦しみや悲しみ、不安の中にいるときは、果てしなく続くようで、これ以上の苦しみはないような気がして、出口の見つからないトンネルで立ち往生しているような気分です。

 

心に余裕が出てきたら、一度、人生というものを大きな流れでとらえてみることで、意外と「今の苦悩」から距離をとることができるかもしれません。

距離をとることは、客観的に捉えられることにつながります。

もちろん、その時は、簡単にできることでないと思います。けれども距離をとることで、それを眺めて、動かしてみて違う角度から見てみたり、取り扱えるようになるということだと思います。

この取り扱えるようになる、というのはとっても重要です。

わけがわからない、得体のしれない感情にさらされると人間は混乱します。

わけがわかり、取り扱えるようになったら、もうこっちのもんだと思います。

カウンセリングや認知療法などが効果を発揮するからくりは実はここにあるのだと私は理解しています。(この話はまた…)

 

人生の主役

この記事の題目の部分です。

ある日、ふとした事で子どもと笑い合ったとき、

このままじゃあかん

自分が諦めてどうするんや

自分が希望を捨てたらあかん

人生一度きり

なるようになる、なるようにしかならへん、どんとこい

と、肝っ玉母ちゃんが目を覚ましました。

 

結局、家族、家庭と言いながら、自分ひとりの世界で答えを出そうとしていたような気がしました。

守るべきものは自分で守らなければ誰が守るんや、と思えました。

 

朝ドラ「まんぷく」で、萬平さんが梶谷さんに「あなたの人生の主役は、あなたなんですから」と伝える場面があります。

いま、その言葉が、とても心に染みます。

自分次第で人生どうとでもなる、と思えます。

自分の感じ方、考え方、捉え方ひとつで、殻に篭ることも、切り開いていくこともできると思えます。

 

どうせなら、切り開く方にエネルギーを注ぎたいものです。

その中でどうしようもない事が起こるのも、それまた人生。

その時はその時で、流れに任せながら…

いかに自分の人生、自分自身の舵をとるか…ですね、課題です。

 

そんなえらそうなこと言いながら、前に向かっているエネルギーが揺らぐことはあります。そりゃそうです(^^:)しゃあないしゃあない。。

けれども、

自分には人生において唯一無二の大切なのものがある、、その事だけは胸において、存分に主役を全うしたいと思います。