40歳からの再出発〜肝っ玉母ちゃんのブログ〜

40歳からの再出発〜肝っ玉母ちゃんのブログ〜

40歳を過ぎて人生の転機が訪れた看護師の記録。家庭、仕事、人生を素直な生きた言葉で感じていきたいです。

鬱になって新しい自分を見つける

昨年から主人は不安神経症に伴う鬱状態になりました。

 

これまでの自分のすべてが崩れる

 

18年間続けた介護の仕事を辞めて、ケアマネジャーの受験勉強に打ち込み、試験を受けて、終わった途端…

自分は何をしたらいいのか…

途方に暮れたようです。

 

 

試験結果が出るまで2カ月、合格ならそこから半年以上の研修を受けて、そこからはじめて、ケアマネジャーとして働くことになります。

 

 

それまでの間、バイトやパートをしようと求人を見ているうちに…

社会に出ること、働くこと、新しい環境、人の中に入ることが、どんどん不安になって怖くなっていきました。

 

自分には何も出来ないと、自分の自信全てを喪失していきました。

 

ケアマネジャーの試験結果は、

合格でした。

 

けれども、それは恐怖と不安の最中にいる主人にとってはどうでもいい事だったようです。


研修の案内がきて、研修の日程が近づいてくると、それはプレッシャーとなって主人をますます焦らせました。

 

社会とかかわること自体が出来なくなっていました。

 

 

不安神経症心療内科、お薬のことは、またの機会に書いてみるつもりですが、

少し触れると、主人は心療内科のお薬に対する恐怖、抵抗、拒否が強くなり、薬物治療そのものの恐怖と闘う時間が何ヶ月も続き、今はカウンセリングに通って、自分と一生懸命向き合おうとしています。

 

必要なお薬を飲めないままです。どうしても飲めないのです。

 

自力でなんとかしようともがけばもがくほどに、鬱症状は悪化しました。

 

そばにいる私には辛すぎて薬の必要性について何度も言い方を変えて伝えましたが、どんどん主人を追い込んでしまいました。

 

 

 

もう私から薬の事を言うのは

やめました。

 

 

 

新たな価値観をつくる

 

働きたい、働かねばならないのに働けないというプレッシャーと、

働いていない自分を責める、何もしていない、何も出来ない自分を否定するしか出来ない状況を、なんとか打破しないと、、

 

なんとかして自分が今ここに生きている価値を見出さなければと、主人がもがきながら今できることの意味づけを探した結果、

どうしようもなく考えたことが、

 

専業主夫」という新たな自分の役割、価値づけを自分に納得させる事でした。

働けなくて家にいる自分を許す方法として、です。

 

 

けれども、それはそれで、今までの自分の固定観念を変換していかないとどうにもならないようで。

 

男性が専業主夫をする、それはまた、そういう自分を認める、納得するという課題があるようです。

 

そうしたい、そうありたい、と思った訳ではなく、

今の自分にとっての苦しみを天秤にかけて、とりあえず何とか社会に出る不安から逃れる苦肉の策だったから故でしょう。

 

 

本当に自分はそれで良いのか、と苦しむ時間が過ぎました。

 

だからといって、社会に出る脅威が今の主人にとっては莫大で、ものすごく自分に負荷となってしまいます。

 

どっちを選んでも苦しい…

 

自分は甘えているだけなのか…

という考えがまた自分を追い詰めていました。

 

「甘えているのなら、そんなに苦しまれませんよ」

と、心療内科の先生に言われ、少し救われたようでした。

 

 

私はというと、

主人の心が落ち着いてくれるなら、ほかに何ひとつ望みません。

専業主夫でいい

私が働けばいい

男がどうとか、女がどうとか、どっちでもええやん、

 

今は、今主人がこうしようか、こう思ってみようか、というところを、

うんうん、それで良いよ、

と受け入れるしかないと思っています。

 

 

 

 

正直言って本当は働いてほしいです。

ですが、それは到底言えません。

私が仕事をかけもちしてでも主人の病気の悪化は避けたいのです。

 

でも、そこまでしている私を見てまた自分を責めるのだろうか…と思い、それもまだ言っていません。

 

働いてほしい、と思うのは経済的理由からだけではありません。

 

主人にとって働くことが

主人を輝かせると思うからです。

最終的には、生きがいをもって生きることにつながる何かを

取り戻してほしい、

私の願いです。

 

 

鬱になり、社会復帰が困難になる方は驚くほどたくさんおられます。

少し寛解に向かっても社会復帰するということは、他者とのかかわりも必要になり、それらがまた心理的な負荷となって再発してしまうという話もよく聞きます。

 

主人もまたそれを恐れています。

 

サラリーマンとしての人生しか知らなかった自分が、

生きる観点を変えていかないと…

今は、在宅でもできる仕事に取り組もうとしています。

 

 

何かに取り組もうとしてくれていることが、

今は喜ばしいと感じています。

 

 

ほんとうに自分が求め望むこと

 

働くこと、家にいること、

どちらも苦しい、こわい

 

どれほど辛いことでしょう

 

主人にとって一番いいのは何かを考えるようになりました。

 

恐らくは、

主人が自分は何がしたいのか、という答えを自分で見つけることだと思います。

 

 

 

本当にしたいこと、望むこと

それもわからない

だから出口が見つからない

 

今はそんな状況です。

 

おそらくは

仕事がしたい

好きな介護の仕事がしたい

それが今はどうしても出来ない…

のだと思います。

 

 

 

 

ー介護の仕事をしていた主人と出会いました。

物静かで、穏やかで、優しくて、

患者さんから

「にいちゃんが一番優しいわ」

といつも言われていました。

「俺優しいか?」と本心から自分では自分の優しさに気づいていないような人でした。

 

 

自然体で自分の世界を持っている、

人見知りで自分から積極的に話していくタイプではないけれど、

そんなじわっと伝わる魅力に自然と人から慕われる、そんな人です。

 

同じモチベーションの仲間と仕事できている時は、生き生きとしていて、

この人は介護の世界が好きなんだなぁと私は感じでいましたー

 

 

そんな主人の姿が

心に焼き付いています。

 

 

そんな自分の姿を

主人はもう遠く取り戻せないものと感じています。

思い出せないといいます。

 

 

自分から

自分はこうありたい

自分は本当はこれがしたいんだ

 

という言葉を主人の口から聞く日を

待つしか

今の私にはできません。

 

 新しい自分

 

心の病になって

それまでの自分が崩れてしまったように感じて

何もかも失ったように感じて途方に暮れて

ただただ時間だけが過ぎていく、


毎日主人を苦しめている思いです。


 


そんな主人が

新しい自分を見つけていくことは、

 

専業主夫がどうとか

新しい社会的位置づけといったくくりを見つけることではない、


と私は思っています。



それまで自分の考え方や感じ方を

少しずつ緩めて

自分を認めて肯定していく

心の作業なのだと思います。

 


ゆっくりゆっくり時間が必要です。


次の機会に書く予定ですが、

妻である私は

この

ゆっくりゆっくりに

歩幅を合わせて

ともに人生を歩いていくことしかできないと

今は感じています。