40歳からの再出発〜肝っ玉母ちゃんのブログ〜

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40歳を過ぎて人生の転機が訪れた看護師の記録。家庭、仕事、人生を素直な生きた言葉で感じていきたいです。

職場復帰スタート

復職して二週間が過ぎました。

現時点での気づきを残したいと思います。

 

単なる緊張?少しの揺れが症状を連動させる思い込み

 

私自身も不安や心配が強くなるとパニック症状のような症状がでるようになっています。

 

そして自分の中で知らぬ間にそれが「症状」として固定されてしまったようです。

 

うまく伝えにくいのですが、何もなかった以前の自分でもあった普通の緊張や心配、不安感…程度のものだったはずが、

少しそれを感じると、ものすごくしんどくてキツい時の症状の感覚に連動していく感じです。

 

今日はあの仕事が迫ってるから間に合うかな…ちょっと苦手な人に会う時、なんか嫌だな…大丈夫かな…といった不安がよぎる事は普通にあると思います。

実際、無事終えて、はぁ〜終わった〜良かった〜、とか

まぁなんとかなるか、大丈夫大丈夫、とか…

 

その時の心の落とし所というか、問題解決の過程といったものを

 すっかり忘れてしまっている

 

そんな感じです。

 

恐らく一旦壮絶な感覚を味わってしまうと、もうその感覚にとらわれてしまうのかもしれません。

 

「症状」そのものにとらわれてしまうと

前はなんてことなかった程度の揺れや少しの揺れが、

いとも簡単に、大きな揺れと結びついてしまう、そしてそれに怯えてしまう

 

今、自分がその状態にあることに気が付きました。

 

なんや、これはW(`0`)W

 

 

何度も何度もそんな事があって、嫌気がさしてきたとき

もしかすると、勝手に自分がその「症状」に結びつけてるだけ??

 

という思いが浮かんできました。

 

脳科学的にはもしかすると、

恐怖や不安を感じるシナプスの回路が強くなってしまって、少しの不快な刺激がそのルートをすぐ選んで通ってしまう現象が起きている、という説明になるのかもしれません。

 

確かにそうなんでしょう。

 

それを医学的には薬物療法で緩和させ、その間に心の方の安全回路を強化させていくのだと思います。

 

 

けれども

そこに結びつてしまう自分の心の回路をほぐしていくのは、やはり自分の心の努力なのかなと思います。

 

大丈夫、、という安心回路を

しっくりと実感して、しっかり気づくことが必要なんだと思います。

 

そのしっかり気づくことが出来るのは、ある程度の心の余裕の部分というか、心の余力が必要なのだと思います。

 

その余力のために、お薬の力を借りる、お薬を活用することが必要な時期はやはりある、というのが私の体感から思う事です。

 

やはりお薬は、「松葉杖」になり得ると私は思うのです。

 

 

 スタートをきるというハードル

3ヶ月の休職を経て仕事に復帰するという事は、案外大変な事でした。

ちょっと列挙してみます。

 

・朝起きて身支度を整える⇒ついにいよいよ始まるんだという不安と緊張

・職場にいくために電車に乗る⇒到着までが長く感じるが到着してしまうといよいよ感…。

・自部署についたら挨拶をしないといけない

・周りに余計な気遣いをさせないようにしたい

・初日の自分に与えられた仕事を確実にこなせるか不安

・業務を正確に行えるか心配

・必要な時にはヘルプサインを出せるか

・合間では普通の会話、コミュニケーションをとることができるか

・初日が終了しても翌日がある…

 

こういったことが、始まる前から大きく大きく不安要素とくっついて目の前に立ちはだかる、そんな感じでした。

自分でも驚くほど、です。

 

 

いざ、始まってからも、頭の中はというと、

私ですらこんなに不安で緊張しているのに主人がいつの日かスタートをきる日がきた時、

どれほどの勇気、覚悟、エネルギーがいるのだろう…

という心配でした。

 

そんな事が頭をよぎると、またやはり不安と心配で息が詰まってくるのだからまぁ厄介です…(*´Д`*)

 

結局、初日を終えたらくたくたでしたが、

 

初日がないと翌日がないわけで…

始まりがないとそこから積み重なる過程はないわけで…

一歩だけでも踏み出すから、次の一歩があるわけで…

 

どんなスタートであってもいいから、スタート地点に立った事そのものに意味があると思えました。

もっと言えば、スタート地点に立ってみようと思える事そのものが、もうすでにスタートに向けた勇気が持てた、ことなんだと思います。

 

  

集中するということ

 復帰直後は、やはり元通りの自分ではなくて、なかなか仕事に集中ができない自分がいました。


目の前のことより不安感が圧倒的に幅を占めていて、集中しようとしても、不安や心配事が浮かんできて、それに伴った胸のどきどきや、ざわつきにどんどん意識がいってしまいます。

そしてそんな症状を意識すればするほどどんどん目の前のことに集中できなくなる、そして不安感が頭と心全体をぎゅうじる、、

 

最悪のループです。

 

無理やり頭を横にふって不安や心配を跳ね飛ばそうとしていました。

 

こんな状態で、このまま自分はやっていけるのか…と、また不安になりました。

 

 

なので、私が努めてしたことは…

 

 

今、目の前のことをただただこなす。。

です。

 

自分の中に巡る思いや考えは一旦お休みしてもええやないか、、

意味なんて後からついてくる、

いやでもまた色々考える自分が不安や心配を連れてやってくるやろうし、ほんなら今だけは何も考えずに、目の前のことだけに、一度身を投じようではないか、

 

と、思うようにしました。

 

実際には、「心を投じよう」かもしれませんが、何故か私には、「身を投じよう」の方が、心身まるごと目の前のことに集中する自分に持って行きやすかったです。

 

それは最初は上手くいかなかったけれど、

 

それこそ努力を要したけれど、

 

少しずつ目の前のことに集中できてきている自分がいました。

 

その時はただ必死でも、

そうなれる自分がいることに、おや?と気づく時が訪れると思います。

 

 

そこに自分を投じるか、回避するか

不安障害では、時に暴露法といって不安な状況の中に身を投じ、克服していくという治療法があるそうです。通常の心の状態の人からいえば、いわゆる「慣れ」なのでしょうが、まったく次元が異なると思います。


ちょっとこわいな、緊張するな、なんか苦手で不安、

やってみたら、あ、意外とできた、

不安障害のある方にとっては、そんなホップステップジャンプのようにひょいひょいできるものではありません。

 

だから苦しいんですから。

それが出来ないのがこの症状の苦悩なんだと思います。

 

(暴露法や行動療法、認知療法認知行動療法などは必ず専門家の専門的知識とサポートがあってこそだと私は思ってます)

 

しかしながら、やはり不安が強いとその状況を回避する、それも当然の心の動きです。

 

回避することで、その不安がなくなるか…

それは難しいと思います。

回避すること自体がその不安を斜め後ろに感じているというか、意識は

よりその不安にかられているように感じます。

 

だったらどうすればいいか…

 

正直難しいです。。簡単ではないです。

 

私の体感としては

不安状況に自分を投じているのか

不安状況を回避しているのか

 

そんな自分の心の向きを

「意識しない事」への慣れなんじゃないかな、

と思います。

 

どちらか一方に向いていると思った時点で、心に異常なまでの構えができてしまう

 

その構え自体が自分の心のとらわれを強めてしまう気がしました。

 

 

とはいえ、この構えを緩める事が容易にできたら苦労せんわい、とも思うところです(*´Д`*)

 

 

共存すること

ともかく、二週間が過ぎて、今思う事は


大丈夫という感覚や大丈夫だった事を塗りつぶすほどに前面に牛耳っていた不安や心配や緊張の塊が

 

徐々に、

本当に徐々に、小さくなっていって、

大丈夫という感覚の面積が広くなっていきつつある、

それで良いんだということです。

 


不安や心配や緊張 が完全になくなるなんて事は実際生きていて無い訳で

それらが過度に大きくなって占めていた部分が少しずつ大丈夫感と共存できるようになるのだと思います。

 

ほんの少しだけでも大丈夫感が不安感を上回ったら、もう日常で取り扱える不安感として共存していけると思います。

 

そうなれば、もう「症状」にとらわれない、「症状」が悪でも恐怖でも弱さでもなくなると思います。


そのプロセスの中で、行ったり来たりは必ずあると思います。

 

けれども、大丈夫になる自分、自分の生きる力を信じて、それを希望の光として信じていれば


主人にも必ずその日が来ると

私は信じています。

絶対に諦めません。