40歳からの再出発〜肝っ玉母ちゃんのブログ〜

40歳からの再出発〜肝っ玉母ちゃんのブログ〜

40歳を過ぎて人生の転機が訪れた看護師の記録。家庭、仕事、人生を素直な生きた言葉で感じていきたいです。

妻として母として、看護師として

以前、同僚からこう聞かれました。

「家のことと、仕事、大体何%くらいずつの割合で力注いでますか?」

 

え…

ん…

 

私には問われている意味がよく分からず…

「どっちも100%ですかね。そんな風に考えたことないなぁ…」

と返答しました。

「えーー!ありえへんー!

私、それでいつも悩むんですよ!!仕事も家のことも、ってなったら両方中途半端になってる気がするし、じゃあ、自分のことは?ってなったら、自分の楽しみとかに使う時間、もう何年もほったらかしで!

もう、いーーってなるんです。

そんなんならないですか?」

 

ならないなぁ…

どっちも全力、それが普通、それが自分、

本気でそう思っていました。

 

この会話をした時、

私は何も分かってなかったのかもしれません。

自分というものも、自分のために生きる、家族のために生きる、ということも。 

 

 

これまでの私の日常といえば、

日勤の日…

朝早く起きて、子どもの朝食の支度をし、自分の準備を済ませて、子どもを起こす。

子どもに食べさせ、子どもの支度を手伝う。

送り出すのは主人に任せて急いで早めに職場へ向かい、日勤業務開始。

仕事が終われば、夕食の献立を考えながら買い出しをして帰る。

帰るなり夕食の支度をしながら洗濯を回し、翌日の子どもの準備をする。

夕食を終え洗い物、片付けをして、洗濯は夜に部屋干し。乾いた洗濯物は主人、子ども、自分に分けてたたんで収納。アイロンするものはアイロン。

子どもと風呂に入り、布団を整え、翌日の朝食の段取りや、自分の準備を整えておく。

 

夜勤の日

子どもと主人を送り出し、主人でも準備できるよう、夕食の支度や準備をしておいて出勤まで仮眠。掃除、洗濯。

13時からシャワーをしたり出勤前の支度をして15時前後に家を出て、夜勤業務に入る。

 

夜勤明けの日

帰宅してシャワーをして、掃除、片付けを済ませて出来る日は仮眠。

子どもの帰宅時間に起きて、諸々の用事を片付けていく。

そしてまた夕食の準備からのルーチンワーク

 

休日

普段できない掃除、リネン類など大物の洗濯などなど、、家事の合間に録画してあったテレビ番組を観ながら食事をしたり、少しのリラックス時間を味わう。時々看護の勉強会などに参加。

 

仕事でも、まだまだだけど、自身の研修や後輩指導、担当する役割を遂行するためにできるだけの事をする。

理解不足と感じることは、ひたすら勉強して実践できるよう深める。

そんな中で、自分の看護を振り返る。

自覚はなかったけれど、同僚に言わせると何事にも真剣、真面目、熱い、タイプらしいです。

 

そんな日々でした。

これが普通で、自然なことだと思っていました。そこに何の疑問も感じませんでした。

 

ある時、主人が何日も眠れていない、自分には何もできない、仕事が怖い、

「俺、もう、あかんわ…」と泣き出しました。

その時から主人の苦しみは始まりました。

私にとっても、毎日が闘いとなりました。

 

ギリギリまで家に居て、待っててな、と不安で押し潰されそうな表情の主人を背中に感じながら仕事に出て、

仕事中は、大丈夫かな、今どんな風に過ごせているのか、早く帰らないと、と心配に潰されそうになりながら、ただただ仕事をこなして、

「すいません、お先に失礼しますー」と急いで着替えて電車に乗り込み、

駅から自宅に向かう道を自転車を立ちこぎで帰る。

帰ったら…悲壮感と不安、恐怖に耐えて過ごしたどん底の顔をした主人に向かう。

気にかけながら夕食の準備をして子供に食べさせる。少しでも子供との時間を、と、せめてお風呂は一緒に入り目一杯スキンシップをとるようにする。

毎日、帰り道は

「絶対諦めへん、負けへん」と声に出しながら家に向かう。

毎日一人で泣く。本当は泣き叫びたい。

「だれか助けてよ。どうにかしてよ。何もなかった、普通に笑えてたパパを返してよ。つまらない事で三人で笑って暮らしてた家庭を返してよ」と、何百回も心で泣き叫びました。

子どもの前ではそんな自分ではいられない。

子どもは私の笑顔が好きと言ってくれます。

いつも、誰にでも、どんな時も笑ってるお母さんみたいになりたい、と作文に書いてくれました。

母として、子どもの健やかな心の為に、笑っていないと、しっかりしないと、と毎日言い聞かせていました。

 

そんな時間が何ヶ月か過ぎた頃、

夜勤中に突然胸や喉元あたりが掴まれたような苦しさと、手足の震え、頭の芯の部分からぞわぞわと痺れてくるような感覚が襲ってきて、血の気が引いたような、立っていられなくなる異変が起こりました。

その瞬間、よぎったのは、

「あかん、私まで何かあったら子どもはどうなるん?あかんあかん!」

焦れば焦るほど、どんどん怖くなって、もうパニックになりました。

 

仕事中、何度か同じことが起きて、ある日は仕事に向かう電車に乗れない、かといって帰ることもできない、、駅で動けなくなり泣きながら職場に電話したこともありました。

 

それでも毎日必死でした。

そんな中、主人を一人に出来ない状態になりました。

そして、職場にしばらく休ませてほしいと願い出て、休職させていただく事になりました。

 

3か月の休職…

もっともっと長く感じます。

この時期のことはまた別の機会に書こうと思っています。

 

 

主人が病気になって、本当に本当に色々なことを感じ、考えました。必死にもがきました。

3か月という休職の時間、私自身も心の歯車が壊れたような瞬間もありました。

そんな時間を過ごして、主人と向き合ううちに、自分自身と向き合うことになったのかもしれません。

 

これまで当たり前のように感じてしてきた事、これが自分の生き方だと信じて疑わなかった生き方に、

ちょっと待って、と一旦ブレーキをかけてくれたのかもしれないと今は思います。

家族あっての自分

自分あっての家族

自分自身が穏やかに、健やかにいられるからこそ、家族も健やかでいられる

そんな家族のために

家族とともにあるために

自分を大切に生きていたい、と今は思います。

 

自分を見つめる、自分と向き合う、自分を認める、自分を許す、自分を信じる、、、

簡単なことではないと思います。

もし、このブログを読んで下さる方の中に、同じような苦悩を感じている方がいらっしゃるなら、

一旦、立ち止まって人生の休息を自分に与えてあげることをしてみてほしいです。

日々生き生きとやりがいを感じて精一杯頑張っている方も、自分への心の休息をあげてみてほしいです。

また、病いの中で思うようにならず苦しんでおられる方も、、、

 

それぞれ、一人一人抱えているものは違うので、容易に言えることではありませんが、

 

立ち止まることは、同じ場所で足踏みしていることではありません。

後退していることでもありません。

周りの世の中の流れから、置いてけぼりになる訳でもありません。

 

人生という大きな流れの中の一部として、意味のある、必要な時間だと思います。

タイトルにあげた「妻として」「母として」「看護師として」

これらは私の人生の役割の部分です。

いきがいであり、大切な大切な自己価値に結び付くものです。

けれどもその役割部分の基盤になるものは、安定した「自分」です。

 

マズロー欲求段階説を唱えたことはあまりに有名ですが、今回はそういう難しい内容は置いておいて(また別の機会に…)、私が感じた正直な気づきをもって言えば、

本当に自分自身を生きられているか、を自分に問うてみることは、人生において価値のあることだと思います。

 

必死になって頑張りすぎてたんやな、自分。

なんだかんだ、、しんどかったんや、自分。

やらなあかん、がんばらなあかん、て決めつけてただけなんかな、自分。

できることはしたらいい、でけへんことはせんでいい、当たり前やん。

 

ほんの少し、気が緩んで、自分で自分をいたわれるような感じです。

 

全く違う人間になるわけではないけれど、このちょっとの気づきが、がんじがらめになっていた今までの自分から、ちょっとだけパワーアップした自分に生まれ変わったような気がします。

 

ほんのひと時でも、一旦肩の荷物を降ろしてみてください。

見えてくるものがあるかもしれません。