40歳からの再出発〜肝っ玉母ちゃんのブログ〜

40歳からの再出発〜肝っ玉母ちゃんのブログ〜

40歳を過ぎて人生の転機が訪れた看護師の記録。家庭、仕事、人生を素直な生きた言葉で感じていきたいです。

現在休職中な仕事のこと

私の仕事は看護師です。

今は休職しています。

前回の記事に書いた通り、主人が病気になり、そばで付きっきりにならないといけなくなり、、なんとかしないと、どうにかしないと、でもどうしたらいいのか、どうしてあげることもできない、でも自分がしっかりしないと、と毎日毎日毎日毎日・・・・一緒に悩み苦しみの中に居続けた結果、、私も症状が出るようになってしまった、というのが事実です。


家族として寄り添うことの難しさを、ここ数か月の間で痛感しました。

抱え込んではだめです。本当にそれはお互いのために良くないです。

病気で苦しむ本人にとっても、そばで支える家族にとっても。

本当に受け入れるということの難しさ・・・。

はっきりとした答えはないかもしれないけど、今言えることは、私の支え方は本当の意味での支えではなかった、ということ、ただそれだけです。

この話は、また別の機会に。

 

さて、そんなこんなですが、休職していた仕事に、復帰することになりました。

正確には、復帰せざるを得なくなったからです、いろいろな意味で。

大きな理由は生活を保つことです。

生きていくためです。

そしてもう一つは、先ほど書いたような理由です。

つまり、主人と私の関係性のためです。ほどよい距離のためです。

 


私が看護師になったのは実は30歳を超えてからです。紆余曲折?というほどではないですが、26歳のとき、これからの人生、自分はこのままでいいのか、と突如思い立ち、看護学校に入り資格を取りました。

この頃、主人と出会います。少し話したその日に、「あ〜私は10年後も20年後もこの人の横におるんやろな〜」と自然に感じました。

この話はまた別の機会に(^ω^)


もともとは、臨床心理士を目指して猛勉強していたのですが、大学院まで行くには…と、一旦社会に出て働きながらお金を貯めて大学院に一年間通いました。

一年間?…

そうです、リタイアしました。

大学院の修士課程は2年です。その課程を終えてはじめて臨床心理士の受験資格が取得できます。今は公認心理士という資格が出来て、門は少し広げられていますね。

とにかく、私は臨床心理士という道を諦めました。挫折といえば挫折ですが、基本的に前向きな性格なもんで、気持ちよく諦めました。

これは私には無理な世界やわ、、

やめましょう、ありがとう。

という具合に…(・∀・)


その時就いていた仕事は病院での介護の仕事だったので、しばらく続けたわけで…

楽しかったんです。

患者さんと関わっていくなかで、何か自分の中で芽生えてきたものが積み重なっていたのでしょう。


あ、看護師なろう。


ふいに思い立ったわけです。


ふいに、といっても、自分の中の湧き上がる混沌としたものを頭の中でいっぱい整理した結果です。

これから先の自分に対する不安や、焦りや、今の自分のなんとなくの不充足感や、希望や期待、色々なものを整理しながら日々過ごしていたように思います。


そこから自分の意志みたいなものが固まってきたように思います。


その意志、のもとになった感覚は、 今でもはっきり覚えていますが、

「自分に正直に生きてみよう」

でした。


私はそれまでの人生、周りの期待に応えないといけない、準備されたレールの上をはみ出てはいけない、でもそんなことは嫌だから敢えて違うことをしてやろう、、そんなことばかり考えて生きてきたことに、この時気がつきました。

小さい頃から

「あんたは学校の先生か看護婦さんになりや」と言われ続けてきて、何も答えず、その二つにだけは絶対にならない、と決めていました。


そんな自分が本当に望み描いてきたものは、人の役に立つこと、助けになりたい、自分にも出来ることがあるなら、そんなシンプルな気持ちでした。

介護の仕事をしていて、患者さんの思い、願いに精一杯寄り添う大ベテランの看護師さんに出会いました。そこにいるだけで、何か言葉を発するだけで、周りがピリッと引き締まるような方でした。でも、その人の偉大さや本当の優しさを皆知っている、そんな方でした。その方が、患者さんの痛みや苦痛を理解して、ケアをしている姿を間近で感じたことが私の何かを突き動かしていったのかもしれません。

正直、嫌で嫌で仕方なかった看護師になりたい、と思った時は愕然としました。

けれどもそれは、ただ周りの思い通りになりたくない、という自分の単なるとらわれだったと気づいた時、すーっと肩の力が抜けたような、妙に穏やかに素直な気持ちで、自分の道を決められた、そんな瞬間でした。


私は看護師という仕事が好きです。

心から好きです。

大変だったこともあるし、これからも課題がなくなる事は決してないと思います。

けれども生涯、続けていきたいと思います。

そして、看護師の道を歩かせてくれ、支えてくれたのは、主人です。


だからこそ、私は戻ります。